帰国して日本に馴染めなかったのは実は親の方だった⁈

帰国子女

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何年も海外で生活した後、日本に帰国。多くのご家族は子供の学校のことや、子供が日本文化に馴染めるかなど、まずは子どものことを心配するのではないでしょうか?


私もその1人でした。子供3人、それぞれの学校に馴染めるか、準備の不足はないか、友達はできるか、給食は合うか、など朝から晩まで1日中誰かの心配をしていました。

ところが、ふと、私は自分自身が最も日本に馴染めていないことに気付いたのです。

今回は、軽視されがちな、元駐在妻が日本に馴染めなかった黒歴史をご紹介したいと思います。

元駐在妻さんといっても様々です。

きっと上手く馴染めるかたの方がたくさんいらっしゃるはずですが、中にはこんな不器用な人もいるだな、と参考にしていただければ幸いです。

日本に馴染めないのは親の方だった!その3つの原因

私たちは地方都市の更に地方の田舎に住んでいました。駐在前に土地を買い、家を建て、近所付き合いも始まり、子供も幼稚園に通い出していました。生まれ育った町ではありませんでしたが、その町で生きていく覚悟を持って家を建てたので、その町に帰ることは至極当然のことでした。みんな、待ってくれてる、と信じて。

【原因①】そもそも誰も待っていてくれなかった

「待ってくれている」と思ってきたことがそもそも間違っていました。誰も、私のことなんて待ってくれていなかったのです。

「待ってるよー」と言ってくれたのは事実です。幼稚園時代のママ友はそれなりにたくさんいたので、個別で連絡はとっていましたし「落ち着いたら会おうね」と皆言ってくれました。

しかしそれが社交辞令だったことに気づいたのは、帰国してからでした。

4年もたてば、友人関係も変わります。

それぞれのライフスタイルも変わっています。

昔の思い出にしがみついていたのは私だけでした。私が覚えている世界はもうどこにもなかったのです。

【原因②】誰1人私の内面を見てくれる人がいない

田舎町に帰った私たちは「帰国子女」「海外帰り」と目立ちました。

子供も同じ思いをしたことでしょう。名前を覚えてもらう前に「海外から帰ってきた人」と呼ばれてました。今でもそう思ってる近所の人はたくさんいると思います。

仕方ないとは分かっていますが寂しいものです。

しかも「海外に住んでたんだってね?どんなところだったの?」と聞いてくる割に、少し話すと途端に興味のない顔をされたり、「自慢してる」と陰で言われたりと、もうなにをやってもダメでした。

【原因③】幼児を連れて帰国した

私は3人目の次男を海外で出産しました。

次男がまだ3歳にならない幼児の時に帰国。だから、せっかくお茶やランチに誘われても「あ、小さい子がいるなら大変よね」とやんわり断られることが続いたのです。

幼稚園時代のママ友たちは皆子供は小学校に入り、小さい子を連れている人はもういなくなっていました。そうすると話題もずれるし、子連れランチはお互い気を使うし気まずいし、誘われることはいつの間にかなくなってしまいました。

そうなるともうただただ孤独です。

子供たちが通う学校で、新しくママ友が出来るなんてことは、まずあり得ません。

今思うと、私はずっと自宅で次男と遊んでいました。私が家にいれば次男のおうち英語ははかどるし、ママを独占出来る次男はハッピーだし、私も誰とも関わらずに済みます。

帰国後わたしは、完全に孤立してしまいました。



日本に馴染もうと必死になったのも親の方だった

子供たちはそれぞれ着実に日本の生活に馴染んでいきました。最初の戸惑いや、「学校行きたくない」は想定内でしたので、先生や周りの力に助けてもらいながら3ヶ月後には少しずつ日本に馴染んでいきました。

いつまで経っても馴染めなかったのは、親の私の方です。

「落ち着いたら会おうね」

「私はいつでも暇だから声かけて」

元ママ友たちがそう言ってくれてたのは最初だけで、結局会うことなく半年が経ち、連絡も途絶えてしまいました。

私はなんとかして誰かと繋がりが欲しく必死でした。

約束をこぎつけてなんとかママ友と会っても、それ一回きり。英会話教室すらほとんどないこの地域の方に、アメリカの話は全く興味のないものでした。

こうなってしまった原因は3つ

  • 自分の生まれ育った町ではないこと
  • ママ友歴が1-2年の非常に浅い状態で海外駐在に行ってしまったこと
  • 次の駐在が決まっていたこと

やはり決定打は、ママ友歴が浅すぎた、という事だと思います。

当時は毎日のように幼稚園送迎で会うので、ママ友を越えた大親友と勘違い。その気持ちのまま渡米し、その気持ちのまま帰国してしまった私に1番の原因があります。情けないことです。

たった1-2年の付き合いだったのですから「待ってるね」は本当かもしれませんが、私とは温度差がありすぎました。

それくらい、私がその町に帰ることが不安だったんでしょうね。親も旧友もいない、孤独な日々でした。

2度目の駐在を経て帰国

2カ国目は中国でした。私たちは2020年のコロナ発祥の時に帰国してきました。

もう何も期待せずに。

おかげで淡々と日々を過ごし、ママ友に依存することなく、すぐに働く勇気も備えていたので、2度目の帰国はスムーズに馴染めたと思います。

馴染むというよりは、馴染もうとしなくなりました。

だから、周りからみたら浮いてると思います。でもそれでいいと思えるようになりました。

帰国のストレスは主に子供に向けられ、お母さんの心配は誰もしてくれません。

もしこれから帰国される方、帰国しても日本の生活が楽しくないと思っている方がいれば、私のジタバタした日々を思い出していただければ幸いです。



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